先日三宝会のバス旅行が行われました。今年は鹿島神宮から銚子電鉄に乗り犬吠埼をいうコースを皆様と巡ってきました。
鹿島神宮は昨年の震災の折り鳥居が倒れてしまい、現在はその跡だけが残っていましたが、その鳥居の跡に改めて震災の大きさを痛感させられたような気がしました。
鹿島神宮は昔から多くの書物を所蔵していた為に、当時は図書館のような役割を果たしていたそうです、聖人が茨城におられた頃もここまで足を伸ばし、鹿島神宮でしか読むことのできない教典を読みに来ていたという話もあるそうです。
今回初めて鹿島神宮に訪れたのですが、想像していたよりもとても荘厳な雰囲気で、巨木に囲まれた参道に、なにか心が引き締められるような気がしました。
樹齢何百年もある杉の回廊をながめつつ、この景色はおそらく聖人の時代にもそんなに変わっていないだろうと思いながら、この道を聖人が歩いたのかもしれない、またこの山林で塚原卜伝が剣を振っていたのかも知れないと思うと心躍るような気がしました。
そんな物思いに耽りながら、参道を歩き巨木を眺めながらに感じたのですが、自然のスケールというのは人間の想像をいつもはるかに越えていきます。またその力は予想もできません。そういう自分のスケールを越えたものと共存をしているかどうかということは、そのまま宗教心の高さにも繋がってくるのかもしれないと感じました。
想像を超えるスケールの中で自己の儚さや有限性をしるということが、宗教心の基礎になり、根っこを育んでくれるのかも知れません。そういう点でいえば現代の日本、特に都市部においては、人間のスケールを凌駕するようなものに対峙するというが聖人の時代に比べて少なくなってしまったのかもしれません。
自己の有限性をしっかり認識することで、比較対象として対になって表されるものが宗教心であり、真宗において言えば、そこにこそ阿弥陀佛という存在の心強さがあるのかもしれません。
今回の三宝会バス旅行で親鸞聖人の御旧跡もほとんど回り終えました。こういう機会に聖人と同じ道をたどり想いを想像することで改めて気づかされたことや考えるきっかけをいただけたことに感謝したいと思います。
また来年以降も三宝会バス旅行は続きますので、みなさま振るってご参加ただければと思います。
副住職
遠藤 正樹
副住職さま
『三宝会バス旅行』拝読させて頂きありがとうございました。大自然の中にあって、人間は一瞬のチリ、アクタかも知れません。だから生きている間は悩んでもしょうがないことは忘れ今に専念していいのですよと言って頂けるのが真宗だと思っております。遠藤正樹
副住職
親鸞聖人も越後において日本海を眺め生活する中で自身の中の真宗を深めていかれたのかもしれませんね。
今を大切にと言うことは、釈尊も説かれていますし、過去にとらわれず、未来を煩わず今この瞬間を生きると言うことは仏教にとって意義のあることなのかもしれません。