活動について
各地域での活動
活動レポート
- 地元への深い愛情が人々を「絆」で結ぶ
- 郷土料理の商品化で食文化をつなぎ地元に誇りを取り戻す
- 人々の想いが新たなブランドを創り出す
- 被災した工場が被災地を応援するという取り組み
- 鯉ブランド復興にオール郡山で取り組む
- 宮城県の食材のファンを作る試み
青ノリの名産地をよみがえらせる取り組み (2/2)
生態系にも配慮しながら青ノリの復活を目指す
松川浦では青ノリ養殖の再開に向けた取り組みが、すでに始まっている。
養殖に必要なノリ網は、震災当時、養殖業者の家にあって難をまぬがれたものや新たに買い付けたものなどで、3千枚以上を確保した。船は松川浦にある造船所で40隻近くを新たに造ったほか、中古船も買い集めて修理した。
しかし、松川浦の養殖業者がもっとも心配していたのは青ノリの種だった。
津波により松川浦全体が洗い流されてしまったために、種付けをするノリ網を張り込んでも、種が付着しないのではという心配があった。種がつかなければ、松川浦での青ノリ養殖のサイクルが途絶えることを意味する。こうした窮状を見かねて、本来ならライバル関係にあるはずの、他県の青ノリ養殖業者から種の寄贈が行われた。幸い、松川浦でも種付けに成功したが、松川浦支所の人々は、ライバルからのあたたかい支援に涙が出るほど感動したという。
残された課題は、種場をどの場所にするか選定することだ。
青ノリの種場に適した場所とされるのは、貝殻などの石灰質を含んだ砂場であること。そして干潮時には砂場が陸に上がり、満潮時でもあまり深く沈まない場所が望まれる。松川浦支所ではこうした条件をふまえ、松川浦に浮かぶ島々の中でもっとも大きい「中洲」と呼ばれる島の北側を種場に選んでいる。しかし、実際に種場を整備するためには、松川浦の生態系にも配慮が求められる。
震災前の松川浦には、青ノリの養殖施設がびっしりと並んでいた。写真中央の奥に見えるのが種場に選ばれた島「中洲」(写真提供/相馬双葉漁業協同組合・松川浦支所)
海水と淡水が混じり合う松川浦の水域では、小魚や渡り鳥のほか、環境省の絶滅危惧種に指定されているヒヌマイトトンボなど、特有の生物が生息している。松川浦自体は福島県の自然公園にも指定されていて、種場の候補になっている「中州」は開発が制限される保安林の対象にもなっている。
松川浦支所では、震災で傷ついた松川浦の生態系をこれ以上破壊しないよう、行政や近隣住民との対話を重ねながら、養殖再開を目指していく方針だ。
順調にいけば、2013年の9月から種付けを再開し、冬から春にかけての収穫を目指すことができる。種付けに必要なノリ網や網を固定させるための支柱の購入費用などには、キリングループの「復興応援 キリン絆プロジェクト」からの支援金が活用されている。震災前、松川浦では支柱の90パーセント以上に竹が使われていた。今回、キリングループからの支援を受けたのを機に、漁業の近代化と安定した青ノリの生産を図るべく、「コンポーズ」と呼ばれるガラス繊維強化プラスチックの支柱を使うことにしている。
養殖再開に向けて、松川浦にはノリ網を固定させるための支柱が並ぶ
震災の困難を乗り越えて、全国有数の青ノリ養殖地へと返り咲くために、松川浦の人々はこれからも全力で復旧作業を続けていく。
震災前、松川浦の青ノリ養殖場は、風光明媚な景観から多くの観光客を集めていた。もう一度、この美しい自然を取り戻すために、松川浦の人々の努力は続く(写真提供/相馬双葉漁業協同組合・松川浦支所)
写真提供/相馬双葉漁業協同組合・松川浦支所
取材協力/有限会社パワーボール、写真撮影/和田剛