活動について
各地域での活動
活動レポート
- 地元への深い愛情が人々を「絆」で結ぶ
- 郷土料理の商品化で食文化をつなぎ地元に誇りを取り戻す
- 人々の想いが新たなブランドを創り出す
- 被災した工場が被災地を応援するという取り組み
- 鯉ブランド復興にオール郡山で取り組む
- 宮城県の食材のファンを作る試み
相馬双葉漁業協同組合 贈呈式レポート (1/3)
東北屈指の港町を襲った大震災
2016年6月24日、福島県相馬市にある相馬双葉漁業協同組合(以下、相馬双葉漁協)・松川浦地区事務所で、「復興応援 キリン絆プロジェクト」水産業支援の贈呈式が行われた。
福島県の北東部に位置する相馬双葉地方(相馬市・南相馬市・大熊町・浪江町・飯舘村)は、震災前、カレイ類、ヒラメ、アンコウ、タコ類、ホッキ貝、ズワイガニなど、約150種類もの魚種が獲れる、全国でも有数の水揚げ量を誇る地域だった。漁港で水揚げされた魚介類は、全国の卸売市場でも「常磐物」として重宝され、高い評価を得ていた。
また、青ノリの産地としても有名で、養殖が行われる潟湖(せきこ)の松川浦は、養殖場の風光明媚な景観から多くの観光客を集めていた。
しかし、東日本大震災により東北屈指の港町は一変してしまう。
津波により相馬双葉漁協に所属していた漁船は約6割が失われ、青ノリを育成するために松川浦に設置されていた2万4千柵のノリ網も、そのすべてが流された。人命の被害も甚大で、漁船漁業の組合員102名、養殖漁業者2名の計104名が命を奪われた。
さらに追い打ちをかけたのが、原発事故の影響による海洋汚染だった。震災前、150種類にのぼった相馬双葉地方の水揚げ魚種は、出荷制限により約半数を試験操業できるのみになってしまった。しかも、試験操業は漁に出られる回数も制限される。震災前の漁港では、水揚げから競りまでの一切を漁師の妻など女性が仕切って活気にあふれていたが、震災後、男性は除染作業、女性は知人の会社の事務など、「丘仕事」に就かざるを得なくなった。相馬双葉漁協の所属漁船は、現在、約6割が稼働できるまで回復しているが、週に数回の試験操業しかできないため、漁船が港に停泊していることも多い。
こうした状況を打破しようと、相馬双葉漁協では震災後の5年間で約100日もの間、県内外のイベントに出展したり、料理教室を開催したりしながら、風評払拭のためのPR活動を続けてきた。
「相馬双葉漁協の青壮年部と女性部が中心となって、試験操業で獲れた魚介類の安全性を訴えたり、相馬双葉地方ならではの食べ方を紹介するなど、PR活動を続けてきました。しかし、試験操業で獲れる魚種や漁獲量は限られているため、イベントでお見せできる商品はいつも同じものでした。新しい加工商品も作りたかったのですが、資金的に厳しかった。そこへキリングループから水産業支援のお話を頂き、ぜひお受けしたいと新たなプロジェクトを立ち上げたのです」
相馬双葉漁協で共済課長補佐を務める高橋勝史さんは、「キリン絆プロジェクト」の水産業支援を受けるに至った背景を話してくれた。
「キリン絆プロジェクト」の水産業支援を受けるに至った背景について話す高橋さん
新たに立ち上げられたのは、「浜の漁師飯 浜のかあちゃん飯推進プロジェクト」だ。多様な魚介類が水揚げされる相馬双葉地方では、昔からそれらをおいしく料理するノウハウを持っていた。今回のプロジェクトでは、漁師が船上で食べるまかない飯や漁師の妻たちが家庭で作る伝統料理など、今までほとんど地域の外に出ることがなかった料理を、加工商品として開発。相馬双葉地方ならではのブランド商品として販売していくという。
「今までは魚介類を水揚げして市場に出すだけでしたが、県内の加工業者や流通業者、また、行政や大学、商工会、観光協会とも連携しながら、『獲る・作る・売る』という6次化(※)の流れを構築していきます」
実際、相馬双葉漁協では今回のプロジェクトを始動するにあたり、漁協の青壮年部と女性部が中心メンバーの「6次化推進協議会」も結成している。
「復興応援 キリン絆プロジェクト」を展開するキリングループでは、相馬双葉漁協の「6次化推進協議会」が県内の各機関と協働して取り組む、「浜の漁師飯 浜のかあちゃん飯推進プロジェクト」の趣旨に賛同。日本財団の協力のもと、2500万円を助成することを決定した。