活動について
各地域での活動
活動レポート
- 地元への深い愛情が人々を「絆」で結ぶ
- 郷土料理の商品化で食文化をつなぎ地元に誇りを取り戻す
- 人々の想いが新たなブランドを創り出す
- 被災した工場が被災地を応援するという取り組み
- 鯉ブランド復興にオール郡山で取り組む
- 宮城県の食材のファンを作る試み
被災地の水産業復興に向けて動き出した支援 (2/3)
石巻市の漁協を襲った地震と大津波
東日本大震災の大津波により、宮城県では海に出るための漁船をはじめ、カキやワカメの養殖に使われる網やブイなども流された。震災直後、沿岸にはいくつもの大型漁船が打ちあがり、陸地にはカキの種付けをするホタテの貝殻が無数に散乱していた。
さらに地震による地殻変動の影響を受け、多くの沿岸地域で地盤が沈下。そのため満潮時には海水が陸地へ流れ込み、津波で流れ出た重油や汚泥などを取り込んで海へ流れ戻るなどして、海の水が汚れてしまう状況にあった。
震災から1年以上が過ぎても、被災地には津波で破壊されたままの建物が残っている
漁業関係者で津波の被害を受けたのは、漁師や養殖業者だけではない。沿岸に工場を持つ水産加工業者も、工場が浸水したり流されたりした。
「震災直後は、とても仕事ができる状況ではありませんでした。いつ再開できるのか、見通しもまったく立っていませんでした」
当時を振り返り、そう話してくれたのは、石巻市漁業協同組合(以下、石巻漁協)で参事を務める鈴木勝さん。
石巻漁協が石巻漁港周辺で運営する2つの製氷工場のうち、1つは津波で全壊。残った1つの建物を修復し、2011年の10月にようやく業務を再開することができた。他にも、さつま揚げなどをつくる加工工場を所有し、一般消費者向けにも販売していたが、建物は津波によって破壊された。石巻漁協の事務所があった建物も全壊し、現在は仮設の建物の中に事務所を構えている。
津波により全壊した石巻漁協の事務所(写真提供/石巻市漁業協同組合)
震災前、石巻市も漁業者の減少が止まらず、1998年に4198人いた漁業従事者は2008年には3363人となり、10年間で約20パーセントも減少した(注4)。そして震災により、漁業そのものが休止を余儀なくされた。石巻漁港の地盤沈下も1メートル以上に達し、路面のかさ上げをした今でも、大潮や低気圧で海が荒れるときは浸水することがあるという。
こうした漁業者の窮状を少しでも手助けしようと、水産業の支援に乗り出したのがキリンビール株式会社(以下、キリンビール社)だ。