活動について
各地域での活動
活動レポート
- 地元への深い愛情が人々を「絆」で結ぶ
- 郷土料理の商品化で食文化をつなぎ地元に誇りを取り戻す
- 人々の想いが新たなブランドを創り出す
- 被災した工場が被災地を応援するという取り組み
- 鯉ブランド復興にオール郡山で取り組む
- 宮城県の食材のファンを作る試み
いくつもの課題を乗り越え漁業復興を目指す (2/3)
2年連続の津波に立ち向かった漁協職員と組合員
震災の大津波は、宮古漁協が抱える約1200人の組合員にも大きなダメージを与えた。組合員が沿岸地域に建てた家や漁港に停泊させていた漁船なども、その多くが失われた。命を落とした組合員もいる。避難所生活を強いられた組合員の中には、漁に出るよりまず家を再建したいと考える人も少なくなかったという。
養殖施設の被害も甚大だった。
震災前、宮古漁協では100人を超す組合員が、ワカメ・コンブ・カキ・ホタテ・ホヤなどの養殖を営んでいた。養殖施設の台数も1040台にのぼっていたが、そのほとんどが流出してしまった。
震災の大津波は養殖施設を次々と流し去った(写真は震災後に設置されたカキの養殖施設に使われている浮き)
実は宮古市は震災前年の2010年2月にも、チリ地震によって起きた津波が沿岸まで到達し、収穫直前だったワカメをはじめとする養殖施設が流され、多額の損害を招いた。
「組合員の中にも諦めの気持ちがあったと思います」
2年連続で津波に襲われるという不運に遭い、組合員の落胆ぶりも大きかったと風晴課長は感じている。さらには漁業者の高齢化と後継者不足の問題から、震災後に漁業を辞めてしまう組合員もいた。
しかし宮古漁協では、こんな困難なときだからこそ、組合員にできる限りのことをしながら、漁業復興への道を模索し続けた。
ワカメの養殖では、キリングループの「復興応援 キリン絆プロジェクト」も活用しながら、1台でも多く養殖施設を復旧させることに努めた。その結果、今年のワカメの収穫を実現することができた。本業を通じて収入が得られることに、多くの組合員が喜びを感じていたという。
(左)ワカメ養殖の再開に向けて、昨年の秋、養殖施設に必要なコンクリートブロックが海中に埋められた(写真提供/宮古漁業協同組合)
(右)同じ時期、ワカメの養殖縄を張る宮古漁協の組合員たち(写真提供/宮古漁業協同組合)