活動について
各地域での活動
活動レポート
- 地元への深い愛情が人々を「絆」で結ぶ
- 郷土料理の商品化で食文化をつなぎ地元に誇りを取り戻す
- 人々の想いが新たなブランドを創り出す
- 被災した工場が被災地を応援するという取り組み
- 鯉ブランド復興にオール郡山で取り組む
- 宮城県の食材のファンを作る試み
カキのリサイクルを支えるバケット(鉄製容器)の支援 (1/2)
2012年10月15日、宮城県でカキの出荷が開始された。2012年は例年に比べて夏場に雨が降らず、海水温が上昇し、カキの生育にも影響が出た。そのため、当初予定より2週間以上遅れての出荷開始となった。
県内のカキ生産者たちが待ち望んでいた出荷開始。その一方で、震災による被害の大きさや復興の速度などにより、カキ養殖の回復状況は地域によって異なるのも事実だ。
石巻市の東に位置し、太平洋に突き出るように伸びる牡鹿半島。その半島の西南にある表浜(表浜とは、周辺に点在する小渕浜・給分浜・大原浜・小網倉浜の4つの浜の総称)では、カキをはじめ、ワカメ、ノリ、アナゴなどの養殖が行われてきた。
カキをはじめとした養殖産業が盛んな表浜(写真は小網倉浜の海岸)
しかし震災の津波で養殖産業は大きな被害を受けた。
表浜の1つ、小渕浜にある宮城県漁業協同組合表浜支所(以下、表浜支所)の2階建ての事務所は、津波で2階の天井付近まで浸水。隣接するカキ処理場にいたっては建物が全壊した。震災当時、浜辺で仕事をしていた人や周辺住民の多くは、浜の裏手にある山へと逃げ込んだ。
写真左奥にあったカキ処理場は跡形もなくなり、再建されるのを待っている
「表浜地区では38名が亡くなり、いまだに行方不明の人もいます。もし裏山に逃げ込むことができなければ、被害は更に拡大していたでしょう」
表浜支所で支所長を務める阿部恵一さんは、浜のすぐ裏手に小高い山があったことが、多くの人命を救ったと感じている。
2011年3月11日は雪の降る寒い日だった。山に逃げ込んだ人々はじっと寒さに耐えるしかなかったが、幸いにも雪が降っていたおかげで、その雪を溶かして飲料水にすることができたという。
一方、カキをはじめとした養殖施設や漁船、ブイなどの漁具はことごとく津波で流されてしまったため、収穫量は激減した。カキの場合、津波に耐えて残った種カキを養殖したものの、2011年の収穫は例年の2割にまで落ち込み、2012年も5割に満たないと予想されている。
また、表浜では震災前、カキをむき身にして出荷していたが、カキ殻をむくカキ処理場が全壊してしまい、2013年まで再建のメドが立たないため、2012年は殻付きで出荷をしている。加工処理や衛生管理が行われるむき身に比べ、水揚げしたままの状態で出荷する殻付きのカキは入札価格も安くなるが、生産者はカキ処理場が再建されるまでは我慢するしかないと感じているようだ。
こうした厳しい状況に対し、キリングループが展開している「復興応援 キリン絆プロジェクト」では、小渕浜をはじめ給分浜や小網倉など、表浜地区のカキ生産者に対し、「バケット」と呼ばれる鉄製の容器を支援した。
表浜ではカキをむき身にした後、残った殻を天日干しにして塩分を取り除き、仮置き場で約3年間保存する。バケットはフォークリフトに取り付けられ、殻をカキ処理場から仮置き場まで運ぶ際に活用される。3年を経た殻はその後、工場などで細かく粉砕され、農業用の土壌改良材として北海道などに無償提供されていく。良質のカルシウムやミネラル、アミノ酸などが豊富に含まれるカキ殻は、土壌や作物の貴重な肥料となり得るからだ。食べることのできない殻まで有効活用するこの取り組みは、カキのリサイクルと言えるだろう。
表浜では2012年はカキを殻付きで出荷するため、バケットは漁具などを運搬する際に使用されている。2013年以降、むき身で出荷できるようになり次第、バケットは本来の目的で活用される予定だ。