活動について
各地域での活動
活動レポート
- 地元への深い愛情が人々を「絆」で結ぶ
- 郷土料理の商品化で食文化をつなぎ地元に誇りを取り戻す
- 人々の想いが新たなブランドを創り出す
- 被災した工場が被災地を応援するという取り組み
- 鯉ブランド復興にオール郡山で取り組む
- 宮城県の食材のファンを作る試み
大槌町レポート 400年以上続く伝統と技術を絶やさないために (1/3)
すべてを流された中での事業再開
キリン絆プロジェクトの支援を受け、新たな一歩を踏み出した「ど真ん中・おおつち協同組合」。協同組合を構成する大槌町の水産加工4社(芳賀鮮魚店、株式会社ナカショク、小豆嶋漁業株式会社、有限会社浦田商店)は、震災前から旧知の仲だった。
「知り合ったきっかけは、魚盛会という親睦団体でした。漁業者の中で気の合う者同士、一緒にお酒を飲んだり旅行したりしながら、親睦を深めていました。そんなとき、震災が起きたのです。親睦団体のメンバーで集まり、話し合いを持ちましたが、このままでは大槌町の水産業はダメになるという結論に至りました。そこで気心の知れた水産加工4社で、任意団体を立ち上げることにしたのです」
「ど真ん中・おおつち協同組合」の理事長であり、芳賀鮮魚店の代表でもる芳賀政和さんが、団体発足の経緯を教えてくれた。
団体発足の経緯について語る芳賀さん
芳賀さんによれば、お互いが競合関係ではなかったことも、団体設立を実現できた背景にあるという。4社は同じ水産加工業者でありながら、取り扱う海産物の品目も異なれば、取り引きしている流通業者も違っていた。親睦団体でプライベートの付き合いを続けながら、仕事では互いに干渉することなく、しかし、大槌町に対する愛着や思いでは一致していた4社。だからこそ、協力関係を築くことができたのだ。
任意団体を立ち上げたのは2011年8月。しかし、4社とも加工場や事業所が津波で流出していたため、事業を再開したくてもできることは限られていた。水揚げされたサンマを選別して販売したり、大槌湾に遡上してきた鮭を更地で天日干しして新巻鮭にするなどして、何とか事業の再開にこぎつけた。
大槌町では毎年2月から3月にかけて、大槌湾に注ぐ大槌川に鮭の稚魚を放流。
大海原を旅した鮭たちは、4年後に大槌川へと戻ってくる
「本当に何もかも、すべて流されました。残ったものと言えば、自分の命と借金だけです」
芳賀さんのこの言葉からも、事業再開までの道のりが、どれほど困難に満ちたものだかがわかる。
しかし、辛い環境の中で懸命な努力を続ける芳賀さんたちに、大きな転機が訪れる。それは全国各地で名乗りを上げるサポーターたちの存在だった。