活動について
各地域での活動
活動レポート
- 地元への深い愛情が人々を「絆」で結ぶ
- 郷土料理の商品化で食文化をつなぎ地元に誇りを取り戻す
- 人々の想いが新たなブランドを創り出す
- 被災した工場が被災地を応援するという取り組み
- 鯉ブランド復興にオール郡山で取り組む
- 宮城県の食材のファンを作る試み
すべては青ノリ養殖を復活させるために (1/3)
震災が一変させた青ノリ養殖
青ノリの名産地として知られる松川浦。震災の影響により、2011年度は養殖そのものを行えず、2012年度は試験的に養殖を始めたものの、出荷することはできなかった。それでも青ノリの養殖に携わる人々は、1日も早く出荷を再開できるよう、懸命な努力を続けている。
2013年の4月下旬、漁船に乗って松川浦に出てみると、至るところに青ノリがびっしりとついたノリ網を見ることができる。その光景だけを見れば、養殖は順調に進んでいるようにも思えるが、実際は震災前に比べると、圧倒的に青ノリの数量が足りないという。
「震災前、松川浦には2万4千柵のノリ網が設置されていましたが、津波ですべて流されてしまいました。現在、設置されているのは3千5百柵です」
相馬双葉漁業協同組合・松川浦支所(以下、松川浦支所)に勤務する太田雄彦さんは、震災前とはほど遠い松川浦の現状について教えてくれた。
「ノリ網に青ノリがびっしりとついているように見えるのも、収穫をしないために青ノリが成長を続け、伸び切っているからです。本来ならすでに収穫していなければならないのですが、種を落とさせるためにわざと収穫していないのです」
青ノリは秋に種場と呼ばれる貝殻などの石灰質を含んだ砂場で種付けをして、養殖場で成長させながら冬から春にかけて収穫する。成長が早い青ノリは、約3ヵ月で収穫期を迎えるため、9月から翌年5月までの間に、通常、1柵のノリ網で3回は収穫することができる。しかし松川浦では、2012年9月に種付けした青ノリを収穫せず、今年の5月まで成長させ続ける予定だ。それもすべて、青ノリに1つでも多く種を落としてもらうため。種の数が増えれば、種を付着させるノリ網の数も増やすことができ、津波で危機に直面した養殖のサイクルを復活させることも可能になるからだ。
3千5百柵あるノリ網のうち、2千5百柵はキリングループの「復興応援 キリン絆プロジェクト」の支援を受けて購入された。ノリ網を支える支柱も、9割はキリングループの支援が適用されている。従来は支柱に竹が使われていたが、キリングループから支援を受けたのを機に、ガラス繊維強化プラスチックのコンポーズと呼ばれる支柱に切り替えた。価格は竹の5倍ほどするが、その分、頑丈で耐用年数も長い。
コンポーズの先端を見ると、2色のマークがつけられているのがわかる。このマークは持ち主を特定するためのもので、色の違いによって誰のコンポーズなのか、つまり誰のノリ網なのかが一目でわかる仕様になっている。強風などでコンポーズ自体が流されてしまっても、先端の色を見れば持ち主が誰かすぐに判明する。
松川浦支所の入り口には、コンポーズの配色と持ち主の名前が記された一覧表が貼られている
また、震災の津波により砂場がえぐられ、種場の2割が消滅してしまったが、松川浦に浮かぶ島々の中でもっとも大きい「中洲」と呼ばれる島の北側を種場にすることで、消滅した2割を補う予定だ。
青ノリの養殖に携わる人々の努力やキリングループの支援などにより、松川浦は震災前の状態へと一歩ずつ近づいているようにも思えるが、青ノリを出荷するまでには大きな壁が立ちはだかっているのも事実だ。