活動について
各地域での活動
活動レポート
- 地元への深い愛情が人々を「絆」で結ぶ
- 郷土料理の商品化で食文化をつなぎ地元に誇りを取り戻す
- 人々の想いが新たなブランドを創り出す
- 被災した工場が被災地を応援するという取り組み
- 鯉ブランド復興にオール郡山で取り組む
- 宮城県の食材のファンを作る試み
水産品と地域のブランド化で復興を目指す (1/3)
小さな港町を襲った大震災
2013年10月10日、宮城県東部、牡鹿半島のつけ根に位置する女川町の町役場で、「女川ブランディングプロジェクト」の調印式が行われた。
調印式の会場となった女川町の町役場(上) 町役場の建物は津波で流されたため仮設庁舎で業務を続けている(下)
震災前、女川町には10,014人の人々が暮らしていた。日本有数の漁港である「女川漁港」を抱え、銀鮭やカキ、ホタテの養殖も盛ん。港には暖流と寒流の恵みにより多様な種類の魚が水揚げされ、中でもサンマの水揚げ量は全国でトップクラスを誇っていた。また、新鮮な魚介類をテーマにしたお祭りやイベントが毎月行われ、女川町を訪れる観光客の数も年間約20万人にのぼっていた。
しかし、東日本大震災は、この小さな港町に壊滅的な被害をもたらす。
人口1万人あまりの町で、死者・行方不明者は800人を超えた。町の基幹産業である水産業も甚大な被害を受け、多くの事業者が事業の停止を余儀なくされた。
震災後、全国から寄せられた数多くのあたたかい支援や女川町の人々のたゆまぬ努力により、町は着実に復興への道を歩んでいる。その一方で、人口は7,647人にまで減少(2013年9月末時点)。水産業は仮設工場などで営業を再開できた事業者がいるものの、事業規模の縮小を余儀なくされたり、風評被害に苦しんでいるのも事実だった。
厳しい現実が続く中、何としても女川町に明るい未来を描きたい。
そんな強い思いを持つ女川町の人々によって立ち上げられたのが、「女川ブランディングプロジェクト」だ。町で生み出される水産品をブランド化することで、商品そのものの価値を高めると同時に、水産業の体験プログラムなどを通じて町の魅力も高めていく。そうすることで、水産業で働く人々の収益が回復し、観光客も戻る。そして最終的には、女川町の人口が増加することを目指している。
キリングループでは女川町の人々の熱意に応えようと、「復興応援 キリン絆プロジェクト」を通じて「女川ブランディングプロジェクト」への支援を決定。キリングループが復興支援の柱に掲げている「水産物のブランド育成支援や販路拡大支援」とも合致するこのプロジェクトを、全力で応援している。