活動について
各地域での活動
活動レポート
- 地元への深い愛情が人々を「絆」で結ぶ
- 郷土料理の商品化で食文化をつなぎ地元に誇りを取り戻す
- 人々の想いが新たなブランドを創り出す
- 被災した工場が被災地を応援するという取り組み
- 鯉ブランド復興にオール郡山で取り組む
- 宮城県の食材のファンを作る試み
野田村レポート 村の産業全体を支える地域ブランドを目指す (1/3)
「荒海ホタテ」の名前に込められた思い
「のだ印の水産物ブランディングプロジェクト」が発足したのは2013年10月。このプロジェクトは野田村漁業協同組合、漁師の集まりである野田漁友会、加工販売を手掛ける株式会社のだむら、そして行政である野田村の4者によって立ち上げられたが、以前から4者は協力関係にあった。
「野田村は小さい村ですので、4者は距離の近い存在でした。漁業や加工販売業、行政機関というように、それぞれの活動分野は違いますが、必要に応じて互いの情報を共有するなどの連携をしていました。同時に、ホタテやワカメなど野田村の水産物は、市場関係者には評価が高いものの、一般にはあまり知られていない、限定的なブランド品だという問題意識も共有していました。そこで野田村の水産物のアピールポイントは何なのかを4者で整理し、世の中に広めて行こうとプロジェクトを立ち上げたのです」
野田村の産業振興課で水産商工観光班の主査を務める廣内鉄也さんは、プロジェクトが立ち上がるまでの経緯を教えてくれた。
プロジェクト立ち上げの経緯を説明する廣内さん
プロジェクトが最初に着手したのは、野田村の主要産物のひとつであるホタテのブランド化だった。外部からブランディングの専門家を招き、ワークショップを開催。プロジェクトチームのメンバーはブランディングの手法について学ぶとともに、ホタテのブランド化を実現する第一歩としてネーミング(キャッチコピー)の作成を実施した。
「プロジェクトチームのメンバーからは、70以上のキャッチコピー案が出されましたが、もっとも多かったのが『荒海』という言葉を使用したものでした。野田村特有の外海で育てるホタテを表現するのに、この言葉がふさわしいと考える人が多かったのでしょうね」
廣内さんによれば、野田村のホタテ養殖は「ホタテには天国。漁師には過酷」と表現されるという。塩の流れが速く波も高い外海でホタテを育てるのは、養殖業者に並々ならぬ苦労と努力を強いる。一方、ホタテにとってはエサとなるプランクトンが豊富で、人間の生活排水による汚染も少ないなど、成長するのに好都合な環境なのだ。
良質な環境で育つ野田村のホタテ(写真は1年ものの若い中成貝)
通常のホタテ養殖では、稚貝の端に穴を開け、紐に通して海に沈める「耳吊り」方式が多く採用される。この方式では、一本の紐に何十枚もの稚貝が通されるため、大量のホタテを育てることはできるが、貝と貝の距離が近くなり、栄養が十分に行き渡らない場合もある。これに対し、野田村では成長段階に合わせて、サイズの違うネットにホタテを入れ替え、入れる数も調整しながらひとつひとつ丁寧に育てている。エサが豊富な外海で、ホタテはネットの中を自由に動き回れるので、すくすくと成長できる。このため、野田村のホタテには「身が肉厚」「しっかりとした貝柱」「確かな食べごたえ」などの特徴があり、市場関係者から高い評価を得ている。
ホタテが成長する際のサイズの変化に合わせて、「三角ネット」や「丸篭」のようにネットやカゴを使い分けている。写真左の「採苗器」は、海中にいるホタテの幼生(赤ちゃん)を捕獲するのに使われる。自前の海で捕獲した天然の幼生から、ホタテを育てているのも野田村の特徴
「荒海」という言葉には、荒々しい外海で、養殖業者たちが苦労しながら丁寧に育てたホタテに対する深い思いと、たくさんのストーリーが詰まっているのだ。
「荒海ホタテ」のロゴマークは、外海の荒々しさを表現している