活動について
各地域での活動
活動レポート
- 地元への深い愛情が人々を「絆」で結ぶ
- 郷土料理の商品化で食文化をつなぎ地元に誇りを取り戻す
- 人々の想いが新たなブランドを創り出す
- 被災した工場が被災地を応援するという取り組み
- 鯉ブランド復興にオール郡山で取り組む
- 宮城県の食材のファンを作る試み
広田湾遊漁船組合贈呈式レポート (1/3)
まちの経済を活性化する取り組み
2015年4月8日、岩手県陸前高田市にある広田湾漁協米崎・小友支所で、「復興応援 キリン絆プロジェクト」による水産業支援の贈呈式が行われた。今回の贈呈式は、広田湾遊漁船組合に対して行われる。
岩手県の南東部に位置する陸前高田市は、人口2万人あまりの太平洋に面したまち。沿岸部は広田半島と唐桑半島の2つの半島に挟まれ、三陸海岸特有の入り組んだリアス式海岸を形成している。震災前、2つの半島の間にある広田湾では、穏やかな海を活用し、カキやワカメ、ホタテをはじめとする海産物の養殖が盛んに行われてきた。中でも、2年から3年という時間と手間暇を掛けて生産されるカキは、築地市場での評価も高く、高級料亭やホテルなどで取り扱われるほどだった。
広田湾にびっしりと並んだカキの養殖棚
しかし、東日本大震災の大津波は、陸前高田市に容赦なく襲いかかった。入り組んだ地形によって増幅された大津波がまちを襲い、死者・行方不明者の数は1757名に達した。また、水産業の被害も甚大で、被害総額は約355億円にのぼった。
震災後、陸前高田市の人々の懸命な努力により、まちは復興への道を歩みはじめ、水産業も徐々に生産を再開していく。また、津波に耐え抜いた松の木が「奇跡の一本松」として全国的に有名になったことで、まちそのものが注目を浴びるようにもなった。しかし、水産業は震災の影響で販路や取引先を多く失い、「奇跡の一本松」を見に多くの人々が訪れても滞在時間は短く、震災から3年が経過してもまちの経済はなかなか上向かなかった。
全国的に有名になった陸前高田市の「奇跡の一本松」
こうした状況を打破しようと、2014年4月、陸前高田市で誕生したのが広田湾遊漁船組合だ。
「広田湾遊漁船組合は、遊魚や観光などを通して、広田湾の漁業に対する理解を深めてもらい、まちの復興や漁業の発展に寄与することを目的としています。広田湾産の高品質な海産物を知ってもらうために、水産加工品の開発やブランディングを行い、陸前高田市の魅力を感じてもらうために、漁業体験や地域住民との交流などを企画する。そうした事業を浸透させることで、たくさんの人が長い時間、陸前高田市に滞在するようになり、まちの経済も活性化すると考えています」
広田湾遊漁船組合の事務局スタッフを務める鍛治川直広さんは、組合が設立された目的を説明してくれた。
広田湾遊漁船組合の設立目的を説明する鍛治川さん
広田湾遊漁船組合のメンバーは、カキやホタテなどの養殖を行う漁業者が中心となって構成されている。これまでにカキの殻むき体験や漁師が語る震災の話、また、海からの復興現場見学など、漁業にまつわる様々な体験ツアーを実施。外部の人々がまちの水産業の魅力に触れる機会を提供している。
「復興応援 キリン絆プロジェクト」を展開するキリングループでは、広田湾遊漁船組合が取り組む「生産者の顔が見える、物語が分かる広田湾ブランド再興プロジェクト」の趣旨に賛同。日本財団の協力のもと、ブランド育成、6次産業化による販路拡大、担い手・リーダーの育成をテーマとした水産業支援として、1550万円を支援することを決定した。