活動について
各地域での活動
活動レポート
- 地元への深い愛情が人々を「絆」で結ぶ
- 郷土料理の商品化で食文化をつなぎ地元に誇りを取り戻す
- 人々の想いが新たなブランドを創り出す
- 被災した工場が被災地を応援するという取り組み
- 鯉ブランド復興にオール郡山で取り組む
- 宮城県の食材のファンを作る試み
ワカメの復活が町の復活につながる (1/3)
ワカメの名産地を襲った大津波
釜石市中心部から車で南へ約10分、岩手県南東部の三陸海岸に面する唐丹(とうに)町は、人口2000人ほどの小さな町だ。町が抱える3つの漁港では、ウニ・ホタテ・アワビなどが採れる。また、親潮と黒潮の海流が交わる位置にあり、海水がよく流れるため、特にワカメの生育に適している。養殖したワカメを厳選した赤穂塩で仕上げる「唐丹ワカメ」は、全国でも知る人ぞ知る名品だった。
しかし、三陸海岸特有のリアス式の地形は、不幸にも東日本大震災による被害を拡大させる結果を招いた。 入り組んだ地形により増幅された津波の高さは15メートルを超え、20名近い住民が命を落とした。漁港に停泊していた漁船もほとんどが流され、全470船のうち、残ったのは津波が到達する前に沖合に出て助かった10船だけだった。
大津波は沿岸部に設置された巨大な防波堤を破壊しながら、高台にある民家へ襲いかかった
「組合員のほとんどが職を失い、漁協も解散するべきか、真剣に検討しました」 そう話すのは、唐丹町漁業協同組合(以下、唐丹漁協)で総務課長を務める木村嘉人さん。
唐丹町で生まれ育った木村さんは、唐丹の海と人々をこよなく愛している
唐丹漁協も組合員410名のうち、2名を津波で失った。残った組合員で漁業を再開しようにも、船がなければ海に出られない。ワカメなどを加工するための設備も津波で大破してしまった。船もダメ、設備もダメという状況の中、震災から1ヶ月間ほどは、組合員の間に無力感が蔓延していたという。 だからといって、いつまでも支援が来るのをただ待つばかりでは未来がない。そこで唐丹漁協は、組合員が少しでも収入を得られるようにと、がれきの撤去を手伝ってもらうことにした。
転機が訪れたのは震災から約4ヶ月後の7月末。沿岸部で天然のメカブが再生し、新たな種を収穫することに成功したのだ。そこで8月から、翌年春の収穫に向けて、ワカメの種付けを始めることにした。
唐丹町の漁業復興に向けた第一歩となるワカメの養殖。しかしその前には、震災の影響が大きく立ちはだかっていた。
沿岸の高台にある唐丹漁協の事務所も、1階の天井まで津波により浸水。震災後4ヶ月間、唯一残った2階で携帯電話だけを使い業務を続けた