活動について
各地域での活動
活動レポート
- 地元への深い愛情が人々を「絆」で結ぶ
- 郷土料理の商品化で食文化をつなぎ地元に誇りを取り戻す
- 人々の想いが新たなブランドを創り出す
- 被災した工場が被災地を応援するという取り組み
- 鯉ブランド復興にオール郡山で取り組む
- 宮城県の食材のファンを作る試み
震災の避難場所としての機能を果たした工場 (3/3)
従業員の努力により工場の完全復旧を実現
震災後、仙台工場では倒壊した4基のビールタンクの撤去や浸水・損壊した設備の復旧など、工場再開に向けた努力が続けられた。中でも、特に苦労が大きかったのが、敷地内に流出した缶やビンの製品の片づけだった。中身の詰まった重さのある缶や割れたビンの破片を回収し、流れ出たビールを掃除していく。仙台工場では全従業員と協力会社の社員が約100日間もかけて、手作業で片付けと清掃を行った。こうした努力のお陰で、工場は日を追うごとに元の姿を取り戻していった。
震災直後、敷地内は津波で流出した製品などであふれていたが、従業員らの努力により元の姿を取り戻すまでになった(写真提供/キリンビール仙台工場)
その後、7月に電気が復旧し、9月にビール製造を再開することを目標に掲げ、設備の点検や修繕作業が続けられた。関係者一丸となった努力が実を結び、2011年9月、無事にビール製造の再開が実現される。
再開後、初のビール製造として選ばれたのは、東北ゆかりの「一番搾り とれたてホップ生ビール」だった。
岩手県遠野産の収穫したばかりのホップを、水分を含んだ生の状態で凍結させ、これを細かく砕いて使用。通常の乾燥させたホップと違い、旬のホップの個性を最大限に引き出すことができる。
9月26日に行われた初仕込式には、遠野市長も参加し、仙台工場の復活を従業員と一緒に祝った。
初仕込式で遠野産のホップを投入する仙台工場長(写真提供/キリンビール仙台工場)
今年2月には、びんビールの製造ラインも操業を再開し、仙台工場は震災から約1年を経て、見事に完全復旧を果たしている。
また、被災を経験した工場として、仙台工場は地域との絆をさらに深める取り組みにも積極的だ。
びんビールの製造ラインが再開した2月には、著名イラストレーターと被災した仙台市の小学校の児童が一緒に大きなキャンパスに絵を描く「イラスト教室」を開催。翌3月には、工場近隣で大きな被害を受けた地区の合同慰霊祭も執り行った。他にも、工場敷地内にある体育館を貸し出し、近隣で被災した小学校3校の合同スポーツイベントや、中学校の部活動などの場として使ってもらっている。
仙台工場はこれからも、「地域との絆」や「人と人との絆」を大切にしながら、ビールづくりと復興支援に全力を注いでいく。
取材協力/有限会社パワーボール、ピッチコミュニケーションズ
写真提供/キリンビール仙台工場、共同通信社